天皇の系図を作成してみた。図の見方は以下の通り。
系図の作成に当たって[1]を大いに参考にしたが、このサイトのままでは継体天皇がどこにも繋がっていないので、現在の公式な系図と整合的にするために他のサイトも参考にした。継体天皇は応神天皇の子孫ということになっているので、それに従っている。
画像の縮尺の都合でレイアウトが崩れてしまっているが、全画面表示などして見て頂きたい。
神話の時代から飛鳥時代の頃まで。近親結婚が多い。崇神天皇以降は実在が確認されているらしい。
飛鳥時代の前あたりから平安時代の初め頃まで。継体天皇は先代の武烈天皇と男系で10親等離れている。が、后として武烈天皇の姉妹を迎えている。光仁天皇は、先代の孝謙天皇と8親等離れている。
平安時代から南北朝時代まで。藤原氏の血が次々と入っていく。
北朝初代の光厳天皇は、先代の後亀山天皇と男系で9親等離れている。第100代の後小松天皇は、先代の後亀山天皇と男系で13親等離れている。
鎌倉時代から現在まで。第102代の後花園天皇は、先代の称光天皇から男系で8親等離れている。第119代の光格天皇は、先代の後桃園天皇と男系で7親等離れている。
皇位継続問題で旧宮家復帰の話が出ているので、その系図の一部も加えておいた。第102代の後花園天皇の即位が1428年の室町時代であることを考えると、旧宮家は実に600年近く前に分かれており、皇太子と例えば東久邇宮征彦氏との間は男系で辿れば37親等離れている。しかし母方を辿れば5親等となり、血縁関係が近いことは注目すべきである[6, 7]。
しかし直系長子優先にしろ旧宮家復帰にしろ男系男子の養子を取るにしろ、いずれも歴史上なかったことである。
私は伝統に則った「直系・傍系に関わらず男系継承をする」選択が望ましいと考える。が、宮家の数と男子の数がどちらも圧倒的に少ない現状では、皇室の維持は困難である。
内部リンク: