加害と被害
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第二次世界大戦における日本の振る舞いに対する現在の日中韓それぞれの評価を、よく「足を踏んだ側」と「踏まれた側」のように表現する者がいる。どういう意味なのであろうか。日本は東アジアを戦場として中国国民党と戦い、さらには連合国軍と戦い、多くの人間が死んでいった。日本が足を踏んだ側で東アジアが踏まれた側らしい。
今、中華人民共和国は「被害国」で日本国は「加害国」という事になっているが、一体我々は何を中国でして来たのだろうか。とりあえず1926年あたりから1945年までの日中の衝突をネット上の情報を利用してまとめてみた。以下ページ内リンク。
年表の見方
年表の「中国側」「日本側」というのは
- それぞれの国の出来事
- 事件や事変などの日中間の衝突で、最初に行動を起こした当事国
を表す。また「強調」されているものには、その当事国側の最初の攻撃で民間人殺害を含むことを意味している。尚、このページで言う「中国」とは「中華民国」の事を指している。
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中国側 |
日本側 |
1926年(昭和元年) |
7月 |
国民政府による北伐始まる |
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1927年(昭和2年) |
3月 |
南京事件 |
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4月 |
漢口事件 |
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5月 |
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第一次山東出兵 |
1928年(昭和3年) |
4月10日 |
北伐再開 |
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4月19日 |
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第二次山東出兵 |
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5月3日 |
済南事件 |
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6月4日 |
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張作霖爆殺事件 |
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6月8日 |
北京攻略、北伐完了 |
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7月7日 |
条約無効宣言 |
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コメント。
- 公正のため、済南事件において日本軍は、報復として民間人を含め大量に殺害している事を付け加えておく。
- 中華民国が清の継承国であるならば、不平等条約を一方的に破棄するなどということはあってはならない事である。
- 中華民国を清の継承国と承認するのであるならば、満州を「無主の地」と断定するのは暴論だと思う。特定の民族の住む(住んでいた)地域を継承国に帰属させるか、それとも別の国家となるかどうかは自明ではない。
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中国側 |
日本側 |
1931年(昭和6年) |
9月18日 |
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柳条湖事件 (満州事変勃発) |
1932年(昭和7年) |
1月18日 |
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上海で邦人殺害させる |
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1月28日 |
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第一次上海事変勃発 |
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3月1日 |
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満州国建国 |
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3月27日 |
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国際連盟脱退 |
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5月5日 |
第一次上海事変停戦協定 |
1933年(昭和8年) |
5月31日 |
満州事変停戦協定 (塘沽協定) |
コメント。
- 排日政策という背景があろうとも、この一連の流れは日本の一方的な動きによるものである。
- 1932年9月15日、中国の「自衛団」による撫順炭鉱急襲、それに対して1932年9月16日、撫順守備隊による「報復」平頂山事件もここに載せておく。
盧溝橋事件前
[1]によると1935年5月から1937年6月まで、十数回ほど反日テロがあったらしいが、割愛する。
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中国側 |
日本側 |
1937年(昭和12年) |
7月7日 |
盧溝橋事件 |
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7月25日 |
廊坊事件(郎坊駅事件) |
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7月26日 |
広安門事件 |
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7月29日 |
通州事件 |
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8月9日 |
海軍中尉殺害事件 |
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8月13日 |
第二次上海事変勃発 |
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コメント。
- 第二次上海事変勃発以降が所謂日中戦争。
- 中国側が仕掛けていること分かる。
- 通州事件以外は軍隊同士の衝突である。
- 通州事件に関しては、民間人が惨たらしい方法で殺害されたが、当時の冀東政府の謝罪により解決済みの事件となっているようだ。勿論、解決済みであろうとなかろうと、この事件を所謂「南京大虐殺」の免罪符にしてはならない事は言うまでも無い。
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中国側 |
日本側 |
1937年(昭和12年) |
8月13日 |
第二次上海事変勃発 |
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9月8日 |
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陽高事件 |
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8月14日 |
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渡洋爆撃始まる |
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12月13日 |
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南京陥落 |
1938年(昭和13年) |
1月16日 |
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近衛声明 |
1939年(昭和14年) |
2月18日 |
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重慶爆撃始まる(~1941年9月28日) |
1941年(昭和16年) |
12月8日 |
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大東亜戦争(太平洋戦争)勃発 |
1945年(昭和20年) |
8月14日 |
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ポツダム宣言受諾決定、 |
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連合国に通告 |
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8月15日 |
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終戦の詔勅 |
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9月2日 |
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連合軍への降伏文書調印 |
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9月9日 |
岡村司令官、国民政府への降伏文書調印 |
コメント。
- (H21-09-23) 削除。
- 南京事件(政治用語としては南京大虐殺)に関して。例えば「漢民族抹殺計画」のような作戦はなかったと思うが、残兵の掃討、それに伴う民間人殺害はあったと思うし、犯罪行為も常識的な範囲内であったと思う。他の軍隊もやっているのだから日本軍もそうだろうという推測だが。
- また、日本軍監修の記録映画「南京」を見る限りでは、「正規兵の清掃」は12月中に終わっていることになる。勿論、軍監修であるから都合の良い面しか写さないだろうが、「清掃」を徹底的に行ったとはっきり言っているし、その後難民手続きを行い、そして正月を迎えている映像は注目すべきである。「6週に渡る大虐殺」が間違いか、この映画の時系列が間違いかの少なくともどちらかであろう。
- 「日本の蛮行」と呼ばれるような事件は特に見つからなかった。例えば所謂「三光作戦」と呼ばれるものに関しては、適切な記述と思われるサイトが見つからなかった。
- (H21-09-23追記) 「南京事件」は「南京陥落」に変更した。
正直な話、私は今まで「日中戦争は侵略戦争の面の方が強いのではないだろうか?」と思っていた。しかしこうして年表にしてみると必ずしもそうではないことが分かる。満州事変における手段は決して賛同できるものではないが、満州事変以前、そして満州事変停戦以降と、日本国は権益保全や居留民保護といった自衛目的で動いているように思える。
では何故日本軍は中国にいたのかと疑問に思われるかもしれないが、これはもう少し過去に遡る必要がある。それについても書こうと思ったが、面倒臭くなったのでやめた。次回更新する機会があれば載せることにする。
- ['27南京事件][済南事件] : 山東出兵 概説 (近代日本戦争史概説より)
- ['27南京事件] : 第三次南京事件の真実 (第1次大戦と20世紀サイトより)
- [反日テロ][盧溝橋事件][廊坊事件] : 支那事変について (教科書が教えない歴史より)
- [山海関事件][満州事変] : 満州事変について (教科書が教えない歴史より)
- [通州事件] : 消された「通州事件」 (がんばれ凡人!より)
- [通州事件] : こわごわ通州へ(通州虐殺事件) (あれそれこれ博覧会より)
- [盧溝橋事件] : 疑惑の銃弾(盧溝橋事件のおさらい) (あれそれこれ博覧会より)
- [第一次上海事変] : 上海事変 (Wikipediaより)
- [第一次上海事変] : 上海事変 (通りがかりの者ですより)
- [済南事件] : 済南事件 (1928年) (南京事件 小さな資料集より)
- [通州事件] : 「通州事件」への視点 (南京事件 小さな資料集より)
- [陽高事件] : 陽高事件 (南京事件 小さな資料集より)
- [重慶爆撃] : 「正論」平成16年6月号 (Web版「正論」より)
- [重慶爆撃] : Ans.Q 89 (War Birdsより)
- [重慶爆撃] : 歴史記録映像 (独立行政法人 情報処理推進機構より)
- ['37南京事件] : Ans.Q 180 (War Birdsより)
- [平頂山事件] : 平頂山事件? (北京建築より)
- 日中戦争 (Wikipediaより)
- 十五年戦争 (Wikipediaより)
また、興味深いサイトを見つけたので、リンクを貼っておく。どうもよしりんファンの間では有名らしい。
- 戦史研究所