靖国訴訟最高裁判決

H18/6/26

朝日社説

平成18年6月23日、最高裁で首相の靖国神社参拝に関する判決が下された。訴えは棄却された。それに対して6月25日付の朝日新聞社説「靖国参拝 肩すかしの最高裁判決」は次のように述べている。

靖国神社に小泉首相が参拝したことは、憲法が定める政教分離の原則に違反するのかどうか。この問いに、最高裁は合憲か違憲かを判断しないまま原告の請求を退けた。
最高裁が示したのは、他人が特定の神社に参拝することで不快の念を抱いたとしても、ただちに損害賠償の対象にはならない。そんな理屈である。首相の靖国参拝に対する司法判断を求めて提訴した原告には、肩すかしの判決となった。
一連の靖国参拝訴訟では、地裁や高裁で、「首相の参拝は違憲」という判決と、憲法判断をしない判決に二分されている。
政教分離という憲法の大原則について最高裁が判断を避け続ければ、「憲法の番人」としての役割を果たせないのではないか。
誤解しないでほしい。最高裁は「参拝は合憲」とお墨付きを与えたのではない。
いずれにせよ、最高裁は首相の靖国参拝を認めたわけではない。首相には、それを忘れないでもらいたい。

朝日新聞社としては、この判決はとても不満らしい。

判決文

では、実際に「靖国参拝違憲確認等請求事件」を見てみよう。まず原告の訴え。

政教分離原則を規定した憲法20条3項に違反する
本件参拝により、上告人らの「戦没者が靖國神社に祀られているとの観念を受け入れるか否かを含め、戦没者をどのように回顧し祭祀するか、しないかに関して(公権力からの圧迫、干渉を受けずに)自ら決定し、行う権利ないし利益」が害され、
精神的苦痛を受けた

そして判決の理由。

法的利益の侵害があったとはいえない。
本件参拝が違憲であることの確認を求める訴えに確認の利益がなく、これを却下すべきことも明らかである。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

まとめると、

  1. 法的利益の侵害が認められない
  2. 侵害されていないのだから「確認の利益」がなく、違憲かどうかの判断はしない

となる。合憲違憲の判断を避けたのではなく、判断をする必要がないと言っているのだ。

続いて、滝井繁男裁判官の「補足意見」で、個人の参拝行為と公人の参拝行為に対する保障について述べられている。

本件で上告人らが問題にするのは他人の神社への参拝行為である。他人の参拝行為は、それがどのような形態のものであれ、その人の自由に属することであって、そのことによって心の平穏を害され、不快の念をもつ者があったとしてもそのことによって他人の自由を侵害するというものではなく、これを損害賠償の対象とすることは、かえって当該参拝をした者の自由を妨げることとなり、これを認める余地はないのである。
我が国憲法は政教分離を規定し、国及びその機関に対しいかなる宗教活動も禁止しており、この規定は、それがおかれた歴史的沿革に照らして厳格に解されるべきものであると考える。
しかしながら、この憲法の規定は国家と宗教とを分離するという制度自体の保障を規定したものであって、直接に国民の権利ないし自由の保障を規定したものではない

つまりこの「補足意見」は、首相が靖国神社に参拝しても誰も文句は言えないと述べているのだ。

それにしても、公人が神社や教会や寺などでそれぞれの作法に基づいて手を合わせることに対して一体何が問題なのか全く理解できない。

参考URL

判決文で「違憲判断」を述べている判例は次の二件。

いずれも小泉首相の参拝と、その後の靖国参拝者数の増加を因果付け、参拝行為が特定宗教の支援などに該当する宗教活動とみなせるので違憲であると述べている。無茶苦茶な論理である。

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