福沢諭吉「脱亜論」

H17/11/21

ネットからコピペ

福沢諭吉「脱亜論」。明治18年(1885年)3月の「時事新報」に掲載されたものである。120年前の論文である。

日本の不幸は中国と朝鮮だ。この二国の人々も日本人と同じく漢字文化圏に属し、同じ古典を共有しているが、もともと人種的に異なるのか、教育に差があるのか、 日本との精神的隔たりはあまりにも大きい。情報がこれほど早く行き来する時代にあって、近代文明や国際法について知りながら、過去に拘り続ける中国・朝鮮の精神は千年前と違わない。国際的な紛争の場面でも「悪いのはお前の方だ」と開き直って恥じることもない。もはや、この二国が国際的な常識を身につけることを期待してはならない。
「東アジア共同体」の一員として その繁栄に与ってくれるなどという幻想は捨てるべきである。日本は、大陸や半島との関係を絶ち、 欧米と共に進まなければならない。ただ隣国だからという理由だけで特別な感情を持って接してはならない。この二国に対しても、国際的な常識に従い、国際法に則って接すればよい。悪友の悪事を見逃す者は、共に悪名を逃れ得ない。私は気持ちにおいては「東アジア」の悪友と絶交するものである。

上の引用は「isaの同時代フィールド・ノート」というサイトの管理者isa氏が「脱亜論」の一部を訳されたものらしい。残念ながらそのサイトは閉鎖されてしまったらしいのだが、上の引用が「脱亜論」の内容と一致するものであるならば、これは非常に興味深い。

さて現在。120年前の中韓の状況と酷似しているものの、国際情勢は全く異なる。(最早欧米の支配から脱し独立国家となった)アジアにおいて協調を図るのであるならば、中華人民共和国やそれに追随する国々は無視できまい。勿論、これは彼らの強行的な態度に屈することを意味するのではない。我々はより国力を高め、国際的な発言力を強化していく必要があるのである。彼らの日本蔑視的発言を相対的に矮小化させるのだ。

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