南京陥落直前の朝日新聞記事

H18/3/10

2チャンネルで拾った画像。東京朝日新聞の昭和12年(1937年)12月10付けの夕刊一面の記事だ。南京陥落の三日前である。

興味深い内容だったのでテキストにしてみた。潰れて読めない文字は「■」で表し、画像が切れて文が欠けている部分は「 - 」で表した。旧字体は IMEパッド を利用して推測して直した。漢字を平仮名にしている部分もある。句読点や改行は適当に入れた。

ネットで拾ったものなので真贋の判断は各自任せるが、これが記事として事実であるならば非常に興味深い。

記事引用

日本に渡す "廃墟南京"
狂気・支那の焦土政策
数十億の富抹殺(外国軍事専門家の観察)

【ニューヨーク特電八日発】ニューヨークタイムス南京特派員はまさに陥落せんとする南京にある専門家の観察を八日次のごとく報道している。すなわち南京に踏み止まっている外国軍事専門家は、最近四、五日間にわたって場外ならびに近郊の支那軍防備状態を視察したが、その■状には度肝を抜かれている形である。すなわち支那軍は何らの軍事的目的もなくただやたらにありとあらゆる事物をぶち壊し■払っているのであって、専門的見地からすれば全く無意味で了解に苦しむもので、それは支那軍を毫も益せぬと同時に日本軍にとっても対して痛痒を与えぬと見るが至当である。ただ建物が一軒もないので日本軍はこれを宿営に当てることが出来ず、テントを使用せねばならないという不利があるのみだ。

それならば何故こういう無謀があえて行われつつあるか、この唯一の説明は支那軍がこの破壊行為によって■にその憤■を漏らしているという恐るべき事実である。支那軍の上下を通じて存在する「日本軍には敵わぬ」という劣勢意識は彼らを駆って狂気のごとき残忍行為をなさしめ、その犠牲は軍に町や村落のみに止まらず市にさえも及んでいる。

その昔ジンギスカンの大群がかつては栄華を誇った数々の大都市を一変して焦土と化せしめて以来、現在揚子江下流沿岸地方において行われつつあるがごとき組織的な破壊が支那人自身の手によって行われたことはかつてないのである。日本軍の空襲、砲撃の与えた損害はほとんど軍事施設に限られており、これを全部合わせてもなお支那軍自身の手によってなされた破壊の十分の一にも足らぬであろう。

これは中立国の一軍事専門家が予(ニューヨーク・タイムス特派員)に語ったところで同氏は更に語をつぎ)

支那軍が今やっていることから推して自分は次のような結論に達せざるを得ない。すなわち支那は今後百年あるいはそれ以上この土地の支配権の■復を全然予期していないもののようだ。それだから彼らは仇敵の所有に■すべきこの土地を思う存分荒廃せしめているのであると。今支那の■りつつある焼土政策は敵に対する最善の策とは決して考えられぬ。

何となればその敵は確かに一時的には侵入者であるには■いないが、決してこの土地を植民地にしてしまおうとは考えてはいないのだから、支那軍によって破壊されたところのものはすなわち彼ら祖先が額に汗して孜々■■■■、何代かにわたって蓄積したものなのである。

気狂い沙汰としか思われないこの都市、村落の■■いを主張する人々は、かくすることによって現在までに蓄積された数十億の富が根こそぎに抹殺され、もし破壊されなかったならば近い将来支那政府がこの地方より租税を取り立てることが出来、よって戦後国力回復の為財源を求め得るものであるということを考えようともしない。この地味■■でしかも世界で最も人口稠密な地方は■家財政にとり有力な財源供給地であるが、今や猛火の下に消えうせつつあるこの地方の復興のためには巨額の経費を必要とするであろう。

現在の支那軍の行為を納得させる唯一の説明とも言うべきものは、例の古来からの東洋思想たる「面子を救う」ということを持ち出すことであろう。すなわち支那軍は退却にあたり不毛の原野や■煙立ち登る■■を■に残してこれを日本軍に占領させた方が、ただ空しく退却するよりは彼らの威信を昂めるものだと信じているのだ。この考え方は■■地域に住む数百万の支那住民の福祉を全然無視するものだ。今や日本軍の進撃を前に奥地に殺到する非難 - は数百万に達しているが支那政府が彼らを■■し - としても何事もなし得ぬ今日彼らはいかにしてこの冬の■■ - 得んとするかこれは想像に余りあるものがある。

URL の紹介

検索してみたら、同じ事をされている方がいたので紹介しておく。

  1. 南京事件について(その4) (「軍事評論家=佐藤守のブログ日記」より)
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