「私たち」?

H16/11/18

asahi.com 11月17日付の社説 (リンク切れ) に次のような記述がある。

かつて日本軍国主義の精神的な支柱の役割を果たし、A級戦犯を合祀(ごうし)している靖国神社を首相が参拝することに、私たちは反対である。

「私たちは反対である。」これは恐らく「私たち朝日新聞社員一同は反対である」という意味であろう。少なくとも「私たち」が国民を意味しているわけでは決してない。

極東国際軍事裁判の正当性はさておき、所謂A級戦犯と呼ばれた人たちは国連(連合軍)の手続きによって判決を下され、その判決に従って刑罰を受け、それぞれ処分を受けたはずである。処分を受けなかった人たちも、それは正当な手続きによるものである。そして刑に服し終えた後にはもはや罪は存在しないはずである。

第二次世界大戦において、日本政府は日本国民に多大な損害を与えた。この意味においては当時の指導者に対して戦争責任を問うのは日本人として理解できる。しかし当時日本が軍国主義であったと言うだけで、いったい誰が何の権利で誰を裁こうと言うのであろうか。

また、軍国主義という観点において当時日本だけが特異であったわけではあるまい。それどころか第二次世界大戦後のソビエト社会主義共和国連邦や中華人民共和国などの民族弾圧が現在も尚続いていることを考えれば、日本の八紘一宇など夢見る少女のような可愛らしい思想ではないだろうか。人民開放の名の下に大量虐殺してきた連中に、所謂A級戦犯が祀られている神社を日本国首脳が参拝する事に対して何を言う権利があるのだろうか。

ましてや、それに同調するような日本人とは、一体何を考えているのであろうか。

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