平成19年12月16日

靖国神社参拝

今から66年前の1941年12月8日(月)に大東亜戦争が勃発した。この名称、私は学校で太平洋戦争と習い現在も学校ではそう教えているらしいが、最近はアジア太平洋戦争と呼ぶ場合もあるらしい。だったら大東亜戦争で良いと思うのだが。

神社。例えば学問の神、菅原道真。うろ覚えで申し訳ないが彼の死後に京都で「呪い」が広まりそれを鎮めるために各地に社が造られた。後に生前の道真の功績を讃え、学問の神と呼ばれるようになった。

日本で「神」と言えば、いわゆる神だけでなく人間の霊、妖精、化け物など様々な要素が含まれる。必ずしも道徳的指導者や信仰対象ではない。それらを祀るのが神社であると私は思っている。

靖国神社には、近代国家の曙から現在まで、国に殉じた人間が祀られている。魂を鎮める場所として。

2007年12月8日(土)、私は初めて靖国神社を参拝した。

まずはお参り

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入口前、紅葉がとても綺麗だった。落ち葉だらけで滑りそうになる。


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大鳥居。写真からは何も伝わってこないが、木々の色合いがとても美しかった。

映っていないが、入口付近には映画「南京の真実」関係者の方が一人でビラを配っていた。ちょっと寂しそう。

因みにこの南京事件に関して私は、1937年12月13日(月)の南京陥落後、(確たる証拠もないまま敗残兵と見なされた)民間人の大量虐殺、捕虜の不当な処刑などはあったと考えているが、「史上最悪の規模」「30万人」などは誇大評価だと思っている。北斗の拳の悪党が「汚物は消毒だぁ~~~」と火炎放射器で市民を焼くシーンがあるが、日本軍がそのようなイメージと同等に扱われているのではと強く危惧している。


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社号標。リアカーが映っているが、用務員さんが裏に隠れている。


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紅葉綺麗だなぁ~


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逆光の中の大村益次郎。左肩にクルックー。


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二つ目の鳥居を潜り、そして神門へ。


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神門には十六弁八重表菊紋が。

近くの休憩所に老人が一人、軍服のような服を着て座っており、近くの人に「12月13日は南京陥落記念日だ」と話していた。


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三つ目の鳥居越しの拝殿。

隣の老人がお札を入れていた。私も・・・と財布を見るも、樋口さんしかいない。野口君がいれば…。

賽銭箱に百円を入れ、ぎこちなく二拝二拍手一拝を済ませて離れる。


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大東亜戦争忠魂顕彰六十六年祭の看板。


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記念に靖国の桜と御守り、根付けを購入。


遊就館へ

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靖国神社は、戦争で国に殉じたものを祀る施設である。そのためこの遊就館では、ペリー来航以来の近代日本の歩みをパネル展示している。

ところが実は、近代に至るまでの歴史も一部屋分展示していて、そこには年表と共に日本刀や甲冑が並んでいる。そこで一緒にいた熟年夫婦らしい男女が気になった仕方なかった。

その女性、刀を見て「嫌だ、こんなもので首を切られたらと思うと、おっかない。」「怖~い。」などと想像力豊かに喋る。そしてその部屋の半分で我慢できなくなったらしく、次の部屋に直行。その後をついていく男性。

次の部屋。漸くペリー来航。そして当然ながら描かれる外圧と内紛、外交、戦争。先程の女性が物凄い勢いで元の順路を戻っていく。もう見ていられないと思ったのであろう。男性はばつが悪そうな顔で後を追っていった。それからどうなったかは知らない。

展示は第二次世界大戦後までで終わるが、少々長かった事と情報量が多かった事で、全体的にぱっと見るだけで終わってしまった。それだけでも2時間かかったのだが。

帰路、後ろで「あ~、あった~。」という声が聞こえた。遺族の方々が靖国に眠る祖父を探しに来たようだ。検索できるように名簿が何箇所かに置いてあり、それを見て感激していた。

英霊に敬意を表する。

最後に

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天皇の親拝に拘る必要があるのかどうかは今の私には勉強不足で分からないが、現在春秋の例大祭には勅使が参拝している。行く行かない自体が政治的問題にならざるを得ない以上、現状のままが望ましいのではないだろうか。

靖国神社は国営でなくても良い。民間の寄付で続けていけばよい。国が別の追悼施設を作ったところで、英霊は靖国にいる。


予算の殆どを軍事費に充てた時代。そうしなければならなかった時代。日本が国民国家である以上、近代の歩みを後世に伝えるためにも靖国神社は残していくべきだと思う。

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