平成18年8月10日

亀田擁護論を唱える。

へへ。お嬢さん、わかってねぇな。いいか、ボクシングってぇのはなぁ、―――――――。

フリーターのくせに連日働きづめで、昨日まで三連休だったが何もせず。もはやここに書くネタも捻り出せず。そんな私が贈る「亀田親子擁護論」である。あえて言おう。私は亀田親子に何の非もないと。悪いのはそれを興行化したメディアとそれに乗った視聴者である。

ここ数年、K-1 や PRIDE などの格闘技系のスポーツが流行してきた。今やかつてのプロレスブームを凌駕するほどの盛り上がりを見せている。健全なスポーツとしての格闘技に。健全なスポーツ?格闘技が?はぁ?

目が合っただけで襲いかかってきそうな奴。日常では禁じられているがリングの上では思う存分相手をぶちのめすことが出来る。本来そういう連中が戦う場ではないのか? 品格のない人間が自己実現できる世界。テレビ受けするような物語としてのハングリー精神など不必要だ。

「物心つく前からボクシングをしていました。父の厳しい指導の結果、こうして世界タイトル戦に挑戦できることになりました。勝ちにこだわらないと言えば嘘になりますが、とにかく全力を尽くして、悔いのない試合にしたいと思います!」 …とでも言って欲しいのだろうか。

「パフォーマンス」として対戦相手に挑発してきたものの、いざ自分がされると切れまくる亀田親子。いいじゃない、分かり易くて。逆に「いや~、これ欲しかったわぁ~。サイズもぴったりやぁ~。え、何? こっちもくれんの? いやぁ~丁度口が寂しかったんや~。最近嫁はんが全然…って、嫁はんまだおらんわっっ!」とノリツッコミしたらどうよ。

ちなみに上の主張は、某アレ系の人たちが絡んでいることや判定云々の話は抜きにしている。

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