私の好物の一つがラーメンだ。いろいろ好みのラーメンもあったし、こだわりの食べ方もあった。しかしそれは私一個人の好みであって決して最良の方法ではない。正直な話、「ラーメンとはこうあるべきだ」という主張は全く信頼できるものとは思えない。
ではなぜ今になって「ラーメン論」を論ずるのか。それは、ラーメン論を論ずることによって他のラーメン論(の内の一つ)に反駁する事が目的なのである。
あえて言おう。ラーメンは不完全な食べ物である、と。麺があり、スープがあり、具がある。それがラーメンなのであるが、では問おう。具とは何か。何のために具が存在しているのだろうか。
讃岐うどんと呼ばれる麺類がある。「値段が安い」「トッピングを選ぶのが楽しい」など付加価値はあるかもしれない。がしかし! GA-SHI-KA-SHI !!!!! 違うのだ。それは讃岐うどんの本質ではないのだ。それらは全て手段に過ぎないのである。何のために香川県の奥地まで行き、讃岐うどんを貪るのか。それは「安いから」でも「天ぷらが美味しいから」でもない。「麺を味わいたいから」以外に何の理由もないのだ。
金沢に「神楽」というラーメン屋がある。素材にこだわり一杯一杯丁寧に作り上げていく。ところがである。最近このラーメンが美味くない事に気づいたのである。それは、この食べ物がラーメンだから美味くないのだ。麺があり、スープがあり、具があるのがラーメンなのだが、このラーメンは麺もスープも具も美味い。しかしこのラーメンは不味いのだ。スープが淡く味付けしてあるにもかかわらずチャーシューの濃い味が完全に台無しにしているのである。調和がとれていないのだ。
そもそも具とは何なのであろうか。メンマ、チャーシュー、モヤシ、ネギ…。よく考えてみたら、これら全て麺を邪魔しているのではないだろうか。
私は、たとえば蕎麦を食べるときはまず何もつけず麺の味をしっかり楽しむ。うどんも然り。具の入り込む余地はないのだ。果たして、ラーメンは麺の味を直に楽しむことが出来るであろうか。
麺が先かスープが先かなどという議論は矮小な問題である。そもそも、ラーメンは不完全な食べ物か、あるいは蕎麦やうどんとは異なった種類の食べ物なのである。
結構飲んでいるので構成も何もないが、それはいつものこととして。まあそういうことである。