当たるも八卦、当たらぬも八卦。占いを科学する事は駄洒落を真剣に解説するくらい寒いことだが、最近にわかに増えた血液型テレビ番組を踏まえて一言言いたい。
「血液型」という部分を「人種」に置き換えて考えてみてもらいたい。「血液型を考慮した教育」「血液型を考慮したクラス分け」「血液型を考慮した人事」・・・そう、当人たちは気にしていないのだろうが、やっていることは人種差別と変わりがないのである。「あの人は○○型だから・・・」「○○型の人って・・・」これを読んで違和感を感じないだろうか。血液型は基本的に変えることは出来ない。先天的な特徴である。それを基に人間を分類して差別する事は果たして許されるのであろうか。
人種や民族による身体的精神的相違。あるかもしれない。血液型による身体的精神的相違。これもあるかもしれない。しかし、あったとしてもそれは飽くまで統計学的な「傾向」に過ぎない。それを基に各サンプルをああだこうだと決め付け、枠に当てはめていく様は決して科学とは相容れない行為であり、正当性など全くない。明らかに差別主義者の行為である。
当たるも八卦、当たらぬも八卦。なのである。